今日の混沌

マルチポテンシャライト × HSP × メンサ会員の私の頭の中

脳内宇宙に共感してくれる人を探す旅

現実を創り出すについて

こんにちはー!

COTONです。

昨日の夜、この動画が出てきたので見てみたら、感動してしまいました。

◯にたいなんて全く思っていないのですが、これを見るとポロポロと涙が溢れました。

言葉で表せない感情が出てきましたね。

武井壮さんの人間としての深み、厚みを感じました。

なんでこの動画が急に出てきたんでしょうね。

不思議。

本題へ

これまで、時間というものは、過去から現在、そして未来へ流れて行くと当たり前に感じており、疑ったことがありませんでした。

ですが時間とは、観測者の運動状態や重力によって進む速さが変化する「相対的」なものであり、人間が比較や認識をするために設定した概念だと分かっています。

私は最近知ったばかりなんですけどね。笑

知ってからずーっと考えています。

興味が「時間」に持っていかれているような感じ。

過去・現実・未来とは

タフティでは、現実は映画のフィルムの中の1コマを指すものであると書かれていました。

0.000000001秒前は過去で、0.000000001秒後が未来だとしたら、現実は本の一瞬、点のように過ぎ去るものです。

そして、私たちの脳は、「過去」と「未来」の区別がないというではないですか。

タフティがいう映画のフィルムを思い浮かべると、過去〜現在〜未来は繋がっているような感覚で捉えられますが…

また別のところでは、過去→現在→未来というのは、パラパラ漫画のようであるという表現もあります。

個人的には、脳が「過去」と「未来」の区別がないというのであれば、パラパラ漫画の解釈の方がイメージしやすいです。

過去も現在も未来も、ただその場にあり、現実という一点を見ている(認識)しているだけという風に私はイメージしました。

つまり、遥か昔に流れてしまった「過去」も、実はここにあると考えることができます。

夢と現実

タフティで何度も触れられます。

「現実」=「夢」であり、夢も現実であると。

そして両者はどちらも創造することが可能であると。

今日見た夢から気付いたことがあったので書きます。

夢で草原のようなところにいました。

一緒にいる人の手に蟻のような、蟻よりももう少し大きな虫がいました。

その人が一生懸命とろうとしたのですがとれなくて、

私はなぜか、「掃除機で吸ったらいいんじゃない?」と掃除機を出しました。

でも、なかなか吸えません。

そして、私は恐怖を感じ始めました。

もしかして、もしかして…

と思った瞬間、さらに大きな虫が、大量発生していました。

で、恐怖過ぎて目を覚ましました。

こういう、可愛らしいやつではあったけどね。

(恐怖心はあるけど、気持ち悪い虫は嫌だって最後まで粘っていた感じがします)

夢っていつもこういう感じじゃないですか?

自分の中にある「恐怖」という感情が、
さらに恐怖を呼ぶ映像を創り出す

そういう感覚を抱きました。

つまり、夢では間違いなく、自分が意識したものを作り出しているんです。

これと同じように、現実もそうなのだと、思考が現実化する界隈の方はおっしゃっています。

たくさんの本を読んできて、私も思考が現実化するという考えは、事実であると信じ始めました。

最近話題となっているbappa shotaさんの最新動画を拝見しました。

NARUTOのうちはイタチのセリフが引用されていました。(調べた)

…人は誰もが
己の知識や認識に頼り
縛られ 生きている

それを現実という名で
呼んでな

しかし知識や認識とは
曖昧なモノだ
その現実は幻かもしれない

人は皆
思い込みの中で生きている
そうは考えられないか?

『NARUTO -ナルト-』 42巻

イタチも言ってたやん

現実は幻かもしれないって。

色々なところで、「現実」=「幻」というキーワードが溢れていることに気付きます。

これは脳のRASが働いていると言えます。

RAS…五感から入る膨大な情報の中から、現在意識していることや関心のある情報にフィルターをかけ、脳へ優先的に送る役割を持つ神経システム

NARUTOも過去に全巻読了していますが、先ほどのセリフは全く記憶に残っていなかったのです。

今このセリフが出てきたら、確実に頭に残ったでしょう。

つまり現実=幻、夢のような言葉を認識する前に見るか、後に見るかで、捉え方が変わるという事実があるのです。

この事実がある以上、頭で考えたことによって未来が変わるという概念を否定することはできないでしょう。

ただし、現実もバーチャルで、映画を見ているかのように好きなフィルムに変えられるというような話に発展させるには、想像力が必要だと思います。

同じ世界に生きているのに現実の感じ方が違う

息子が小学校低学年の頃の話です。

当時はまだTwitterだったのか、もうXになっていたのかは忘れましたが、現Xで出てくる暗いニュースを読んでいました。

そういうのを見ると、それに関連したニュースがどんどん出てきて、私のスマホは一時期暗いニュースで溢れていました。

すると私の思考もどんどん暗い方になっていき、子どもの登下校を必要以上に心配し、送り迎えしている時も、常に神経を使っていました。

また、ある事件のニュースに引っ張られて、しばらく怖かった時もあります。

今これを書いている間にも、世界のどこかで何かが起こっていて、苦しんだり悲しんでいる人がいます。

でも同時に、同じ世界のどこかで、笑っている人もいるのです。

同じ世界に生きているのに、苦しんでいる人と笑っている人がいるという現象。

じゃあ両者の違いは何なのでしょうか?

(bappa shotaさんの動画で同じような表現がありましたね)

私は自分なりに、こう結論付けました。

自分の感じ方(意識)でしかない

と。

世界は何も変わっていません。

なのに、当時の私はビクビクしていて、今の私は何にも怯えていません。

もちろん後者の私の方が、生きやすいですよね。

深刻そうな発信がある一方で、平和で呑気な発信をしている人がいる。

この人たちの何が違うのか?

見ている現実が違うのです。

ネットを見ていると、移民問題とか、犯罪とか、怖いニュースが溢れています。

それを見ると、気分が引っ張られて、

あぁこの世界はどうなってしまうんだろう

なんて怖い世界になってしまったんだろう

と感じます。

でもね、外に出てみると、今までと何一つ変わらない日常が感じられるんです。

おばあさんが普通に散歩していて、子どもたちが小学校から元気に出てくる様子が見られるんです。

私が知っていた日常と、何一つ変わっていないことが分かります。

もちろん、危機感を持つことは大切ですし、犯罪に巻き込まれないように注意を払う必要はあります。

でも怯える必要はありません。

自分が信じた世界が、現実として見えるのです。

そう思うと、そんなに悲観することなく、明るい未来をみんなで創っていけば良いと思います。

全ての事象には、良い面と悪い面があります。

感じ方は人それぞれです。

自分がどんな風に生きていたいかは自分で選ぶことができます。

だとすれば、悪い面ばかりを見ていても暗くなる一方です。

良い面ばかり見るのは、良いことではないということはもちろん承知しています。

例えば自分に直接関係がないからと、選挙に行かないという人が多いことが問題視されていますが、

「世界が悪い方に動く」

と考えている人が多いから、どんどん悪い方に行くのでは?と

最近考えたりしています。

日本はどんどん衰退している、悪くなっている、移民が増えて今後どうなるか分からない

というニュースや話題がたくさんありますが

世界を見渡してみると、日本はとても治安が良く、食べ物も美味しくて、まだまだ物価は安く、急に生命を脅かされるような危険のない、とても住みやすい国であるということが分かります。

選挙に行かない人が多いから悪くなる

と考えることが、悪い方に傾くのでは、と感じました。

世界は平和になる、全ての人が幸せになれる、と考える人が多くなればなるほど、そう傾くのではないか、と。

単純に、人間がみんなそう考えているのなら、戦争など起こる理由がありませんよね。

そんなことを考えたりしています。

お知らせ

Youtube開設しました。

今日の記事について音声だけ録っております。

まぁ声でも聞いてやろうかというお優しい方はぜひご視聴くださいませ。

武井壮さんの動画を見て、音声録音してみようと思いました。

ありがとうございます。

コメントを残す

アクセスランキング