
IQのすれ違いではなく、流動的に意見を変えられるかの違いではないかという気付き


こんにちは。
COTONです。
昨日は、自分の感情に任せ、見た人によっては気分を害してしまうような記事を書いてしまったことを少し気にしています。
その時の自分にとっては、そう思っていたという印なので、記録として残しておきます。
今日はぼんやりと家事をしながらふと昨日の記事のことを考え、IQに関わらず、自分の意見を変える人か、変えない人の違いによって、会話後の違和感が異なるのかもしれないという考えが生まれたので書いています。
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流動的な意見
私自身は、固定観念をあまり持っていない方だと思っています。
例えば私はAだと思っていても、「AではなくBだよ」という方がいれば、話をよく聞いてみて、「AではなくBだったな」と思えば考えを改めます。
もちろんAとBについては自分なりに徹底的に調べます。
その上で改めて意見を持ちます。
仮に「やっぱりAだ」と思ったとしても、自分なりに両方を調べた結果、「AはこうでBはこうなのでAだと思う、ただしこの点においてはBも正しいと思う」というような意見に変わるという感じです。
でも世の中には、「Aだ」と決めたら何を説明されても「Aとしか思わない」のようなタイプの方がいらっしゃいます。
私は、そういう方と話をした時のストレスが大きいのでは?と思いました。
例えば自分が「B」だと思っていて、どれほど話してもこの人には「B」を伝えらないと感じた時に、自分の言葉の無力さを感じて悲しみを覚えるという可能性を考えました。
私が話した2時間は何だったのか、私がこんなに話しても伝わらないのはなぜなのだろう?のような気持ちになるのかもしれません。
会話でのストレスはIQではなく、流動的な意見を持つ人かそうでないかという説が私の中で濃厚になってきました。
つまり、流動的な意見を持つ人=高IQではないということです。
自分調べですが。
個人的には、どれほど自分が「A」だと思っていても「B」や「C」のような意見が飛んできた時点で、「B」「C」についての情報をすぐに調べます。
なのでそうしない人の考えがよく分からないし、不思議なのです。
質問したりアドバイスを求めるのに結局聞いていない人
先日話した方で、もう1週間以上経っているのにまだ頭に残っている方の例をここで消化させてください。
「スクールを開きたいが、準備にもかなり時間がかかると聞いたし、教材を作る工程も大変そうだし、開いた後の集客も大変そうで、開けないでいる」
具体的な内容は忘れていますが、ざっくりまとめると上記のような話でした。
なぜそんなに大変なのか理解ができなくて、「スクールってオンラインではなく教室を用意したりするオフラインのものですか?」と聞くと、オンラインでした。
「オンラインだったら、何をそんなに用意する必要があるのですか?」
と聞くと、
「スクールの開き方という講座をやっている人がいて、その人の講座のカリキュラムを見ると、かなりボリュームがあって大変そうだったので、大変だなと感じた」
と。
私はこの時点で「?」で、なぜいちいち講座を受講するのだろう?と思いました。
オンラインなんて、お金がかかるものではないし、在庫もないし、自分がしたいようにやってみたらいいのではないか?と思います。
なぜいちいち、SNSで宣伝されている講座を受講するのか、理由が私には分からないのです。
そしてその方はO型でした。
質問されたので、私が一生懸命、自分がオンラインのスクール兼コミュニティを開設した話をしても、どうせ暖簾に腕押しなのです。笑
私は私が話したことが、水蒸気になってしまうような、どこかに消えてしまうような気がするので、ストレスを感じてしまうのです。
私がどれだけ頑張って話しても、この人の気持ちに何の要素も足されないのだろうな…
じゃあ話す意味はどこにあるのか?
私はこの方と話した後、今でも思い出すくらい、ダメージを負っています。
伝わるか分かりませんが、その時はとても楽しく話しているのです。
なので相手の方にとっては、あんなに楽しく話していたのに、なぜ?と思われるのでしょう。
こういう方々は、自分の意見を変えないのに、なぜ質問してくるのでしょうか?
O型の方、教えてください(笑)。
どうせ他人の意見は、エッセンス程度も取り入れないのですよね?
O型が苦手になった理由
もうはっきり書いてしまいますが、O型が苦手になった理由は、私の周りにいたO型の方々のせいです。
身内にも、職場にも、至る所にO型の方はいたのですが、その全員が全員、「私の話を全く聞いていない」ということに気が付いたのです。
これまで無数のエピソードがあるのですが、O型の人にかなりダメージを負わされてきて、O型と聞くだけで苦手と感じる刷り込みのようなものが、私にはあります。
私が20代の頃、営業事務をしていた職場で、一回りくらい年上の後輩(立場的には部下)がいました。
「会社の方針がこうなのでこうして欲しいです」
と100回くらい伝えましたが、
「はい!」
と言いながら毎回違うことをするのです。
私は自分が何度説明しても伝わらない?と悩み、かなりのストレスを感じました。
なんだか不思議なくらい、ストレスを感じる方の血液型が「O」なのです。笑
私の祖母もO型です。
いつも愚痴を聞かされていました。
「それはこういうことだよ」と何度説明しても、「でも私はこう思う」と言って全く聞く耳を持たないし、私はその内自分の意見を話すことをやめ、聞くだけになりました。
そしてとうとう聞くこともやめました。
疲れきったのです。
義母もO型でした。
出産後、腰が痛かったので、「沐浴をキッチンでしたい」と何度も言ったのですが、義母は「絶対に床だ」と言いました。
私がそれでもキッチンが良いと何度も言って、「じゃあ交代にしてみましょう、今日はキッチンから」と言ってくれたので、すごく安心しました。
しばらくしてふとリビングに来ると、床にベビーバスが用意されていた時の私の心が崩れ落ちるような感覚が分かるでしょうか。
今思い出しても悲しい・・・
その後、義母が私の家にいる時は、毎回床に勝手にバスが用意されていて、私の理解が追いつかな過ぎて疲労しました。
あの会話は一体なんだったのか?
他にもO型のエピソードはたくさんありますが、この頃は私がまだ「自分」ではなく「周り」優先に生きていたので、ストレスが多かったのだと思います。
自分の意見を全く言えないタイプの人間でした。
私の周りのO型の人って何なのでしょうか。
私には、
意見が全く変わらない自分の世界を生きるロボット
のように見えます。
昨日の美容師さんもOだったのかな〜。
同じ意見の方、どこかにいますかね?
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